写真の過剰レタッチはアイデンティティーの消失ではないか?
アイデンティティー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(アイデンティティから転送)
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アイデンティティとは自己と同一化している要素の事である。国語等で扱われるアイデンティティの喪失とは、その要素が無くなることである。 また、さまざまな立場における自分自身の在り方について、「これがほかならぬ自分なのだ」というまとまりをもった確信のことである。
以前、写真をレタッチしてるときに物凄い違和感を感じた。ことの発端としては撮影した人に写真をお送りした所、「ホクロやほうれい線を消してほしい。顔のラインももっと細くして欲しい、エトセトラエトセトラ」という要望をうけたのである。
実はすでにその写真は自分の中ではわかるか?わからないか?の絶妙な線でレタッチ済みの写真であった。それ以上レタッチすると「その人の特徴が消える」というラインを自分でひいているのでそこを超えないようにしていたのだが、あっさりと超えてきたのだ。
Photoshopが普及して、かつスマホのアプリでも簡単にポートレート写真を加工できる。目を大きくして顎を細くして。。。プリクラの写真なんてもう自分から見たら宇宙人だが、女子高生はそれが可愛い!といって加工しまくっている。もう皆同じ顔に見えます。でも本人たちは区別がきちんとつくんでしょうね。。。
レタッチをしていて、何というか「この写真にこの人が写っている意味ってどこまであるんだろうか?勿体ないなぁ…十分綺麗で可愛いのに。」と物凄いアイデンティティーについて疑問が湧いてきた、というお話でした。
写真と記事は全く関係ありません。なんとなく昔の感じのカメラ屋さん見つけると撮りたくなるのはなぜだろう?
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